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おかやまの植物事典

タンキリマメ(マメ科) Rhynchosia volubilis

種子(豆)は黒色で美しい光沢があり、さやが弾けても落ちず、さやの縁に残る。 花はたくさんの淡黄色の花が集まって咲くが、小さいので葉に隠れて目立たない。
▲種子(豆)は黒色で美しい光沢があり、さやが弾けても落ちず、さやの縁に残る。 ▲花はたくさんの淡黄色の花が集まって咲くが、小さいので葉に隠れて目立たない。

 

タンキリマメは関東地方以西から沖縄にかけての山野に生育する多年生のつる植物です。国外では朝鮮半島、台湾、中国大陸、フィリピンなどにも分布しています。葉は互生、長さ約3~5cmの柄をもつ3出複葉(1枚の葉が複数の小葉に分かれている)で、小葉はクズ(葛)の葉をミニチュアにしたような、丸みを帯びた菱形をしています。葉の表裏を含めて全体に褐色の毛がありますが、根元に近い、年数が経過した部分は毛は無くなって木質化します。花は長さ1cm弱の薄い黄色をした蝶形花を総状に付けます。花期は長く、日当たりのよい場所なら初夏から晩秋まで次々と花をつけるので秋には花と実(種子)を同時に見ることができるようになります。果実は長さ約1~2cmほどの豆果、いわゆる豆のさやができ、さやの色は熟すに従って淡黄色から鮮やかな朱色に変化します。さやの内部には1~3個ほどの光沢のある直径5mmほどの黒い種子(豆)が入っています。野生のマメの仲間は種子が熟すと、さやがはじけて種子を弾き飛ばす種類が多いのですが、本種は種が落ちず、さやの縁に付いたままになり、鳥に食べられる事によって散布されます。

タンキリマメの葉。近縁種のトキリマメ(オオバタンキリマメ)と似ているが、本種は小葉の先が尖らず、葉の質が厚いことで見分けられる。 豆果(さや)は未熟な時は淡緑黄色だが、熟すにつれて鮮やかな朱色へと色づいていく。
▲タンキリマメの葉。近縁種のトキリマメ(オオバタンキリマメ)と似ているが、本種は小葉の先が尖らず、葉の質が厚いことで見分けられる。 ▲豆果(さや)は未熟な時は淡緑黄色だが、熟すにつれて鮮やかな朱色へと色づいていく。

 

大抵の植物図鑑をひくとタンキリマメとは「痰切豆」の意味であるとされ、この豆や葉を煎じて飲むと、「痰が切れる」のでタンキリマメと呼ばれる、と説明されています。しかし、実際には薬用としてはほとんど用いられないようで、現在の薬用植物の図鑑では、民間薬として掲載されていることがあるぐらいで、あまり掲載されていません。植物としての本種自体は、古くは江戸時代中期の1712(正徳2)年に編纂された『和漢三才図会』巻百四に「穭豆」として掲載があり、同時に「山黒豆」の名の他に、俗名として「痰切豆」の名も載っています。面白いことに『和漢三才図会』でも「よく痰をとおすといわれるが、『本草綱目』にも(痰を切るという)効能の記載がなく、効能があるか分からない」といった意味のことが書かれており、本種の効能は江戸時代からあやふやなようです。『本草綱目』と同じく中国の本草書である『神農本草経』にも「鹿藿(ろっかく)」として記載されていますが、痰切りの効能があるとされてはいません。ただ、現在の中国でも薬草とされており、痰切りの効能があるとされていることもあるようです。時代が下って1769(明和6)年に発行された松岡玄達(恕庵)の『食療正要』には、筆者の自説として、陳皮と砂糖とともに粉末にして常用すれば痰疾を治すといったことが書かれていますが、どうやらこのあたりが我が国において痰切りの効能が書物に書かれた最初ではないかと思われます。遅くとも江戸時代中期から本種が「タンキリマメ」の名で呼ばれていたことは事実のようですが、『和漢三才図会』にしろ、『食療正要』 にしろ、『本草綱目』などと同じ中国での表記である「穭豆」に「タンキリマメ」の読みを当てており、この呼び名(和名)が当時既に一般的だったことがうかがえます。ちなみに「穭豆」の「穭(リョ/ひつじ)」とは、稲を刈った後に再生した稲のことで、「穭田」は俳句の秋の季語となっています。

茎など植物体全体に褐色の毛が生える。近縁のトキリマメは枝葉の毛が本種より少ない。 当園入口の金網フェンスに絡みついた本種。定期的に草刈りされる環境ではこれほど成長することは少ない。
▲茎など植物体全体に褐色の毛が生える。近縁のトキリマメは枝葉の毛が本種より少ない。 ▲当園入口の金網フェンスに絡みついた本種。定期的に草刈りされる環境ではこれほど成長することは少ない。

 

本草学では痰切りの効能は認められていなかったが、民間では痰切りの薬として広く使われていた…と推測することもできますが、もう少し大胆な仮説をたてることもできます。本種の別名には、きつねまめ、きんちゃくまめなどがありますが、もう一つ、「外郎豆(ういろうまめ)」という名前を持っています。「ういろう」と呼ばれるものには、お菓子のういろうと、歌舞伎の「外郎売」に登場する薬のういろうがあります。薬のういろうは現在でも神奈川県小田原市で販売されており、室町時代にはすでに京都で製造販売され、江戸時代には万能薬として有名だったそうです。形状は仁丹を大きくしたような、銀箔で包まれた銀色の丸薬ですが、内部は黒色とのことです。想像になりますが、かつてはこの丸薬が銀箔に包まずに販売されていたとすると、本種の豆の大きさや色が「ういろう」の丸薬に似ているので、本種が「外郎豆」との別名で呼ばれるようになったのではないでしょうか。興味深いことに、この薬のういろうは去痰(痰切り)が第一の効能として知られており、「痰切り薬に似た豆」との意味で「痰切り豆」と本種が呼ばれるようになった…とは考えられないでしょうか。逆に、もともと本種が「痰切豆」と呼ばれていて、ういろうと同じ効能があるので「外郎豆」と呼ばれるようになった…とも考えることもできますが、それほど本種の効能が知られていたなら、『和漢三才図会』に効能不明と書かれることはなかったのではないでしょうか。「痰切りの丸薬に似た豆なので」と考えるほうが無理がないように思えます。ひょっとすると、本種の「薬効」は、いかにもな名前で呼ばれるようになったため「薬効があるはずだ」と思われてしまった誤解の産物なのかもしれません。

岡山県では、主に県中~南部に分布しますが、多年生であることもあり、つる性のマメ科としては成長が遅く、草刈りなどをされると翌年の開花数が減ってしまいます。日当たりの良い林縁や荒れ地などに生育するとはいえ、あまり頻繁に草刈りされないような安定した生育環境が必要なようで、株を見つけることはそれほど難しくありませんが、たくさん花実をつけた立派な株に出会うことは案外とまれな植物です。当園では、温室エリアの入り口わきに生えてきた本種をフェンスに絡みつかせており、年々立派な株となっており、夏ごろから晩秋にかけて、たくさんの花や実をつけています。

(2012.11.18)

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